強い者が生き残るのではなく、生き残った者が強い訳でもなく生き続けていたらほんのちょっと強くなった

数年前に夜中のNHKでこんなことを言ってたひとがいて思わずメモをした。
「強い者が生き残るのではなく、生き残った者が強い訳でもなく、生き続けていたらほんのちょっと強くなった」

言葉って意味は殆ど同じでもどこの経路を辿って思考にたどり着くかで感じ方が変わってしまう。

だから言葉を自由に操れる人って、医師免許持ってますとか、CD出してますとか大げさに言えばそのくらい価値がある武器(一芸といってもいい)を持ってるということだと思う。
神様がなんでもくれるなら、優れた言語能力が欲しい。

kotoba

 

ブログを書きながら気づくことも出てくるし、途中でモヤモヤしてたことや記憶の断片がクリアに
なる感覚も多少出てくるから、書くというのは本当に誰でも出来て、お金もかからず良いツール
だなと思う。

自分を癒したかったら文章を書くしか(表現の仕方として)ないのだとたくさんの人たちが
気づいているからこそネット上にいろんな人たちの文章があふれているのだな、と思う。
それって自分もその波に埋もれてしまうというより、みんな同じ感覚なんだと気づかせてくれる
良い機会だと思ってネットの世界を眺めていたほうが、健全なきがする。

生き続けていたらほんのちょっと強くなった。
それでもう万々歳だ!!上出来ではないかと思う。
こうでなければ生きている価値がないとか、今のままじゃ駄目だと強い危機意識を持つこともすばらしいことだけども、どれもこれも生きていてこその話。